2014(平成26)年度 活動報告 巻頭言
2013年活動報告 巻頭言
新潟県医療ソーシャルワーカー協会
会長 坂詰明広
自分を知り、他者:クライエントを知る実践の継続こそが、
真のソーシャルワーカーを育てる
新潟県医療ソーシャルワーカー協会 会長就任からの生活史
小生が当協会会長に就任したのは、新潟市民病院が事務局だった2010年である。
2015年度末で6年目を終えることになる。会長職を担う中で忘れられない記憶がある。それは、以下の4つだ。
① 会長就任の打診を山嵜 前会長から受けた木戸病院駐車場でのエピソード
② 2010年就任直後の日本医療社会事業協会 長野大会に会長として出席したこと
③ 2011年3月11日の東日本大震災
④ 2012年9月22日~23日の第29回北信越医療ソーシャルワーク研究会新潟大会
一つ目の記憶は、劇的な会長打診の意味を諒解、承諾し全国会長会出席から県内に交通事故被害者生活支援教育研修会をはじめHIV研修を誘致し、その縁を通じたネットワークが拡大したことと新しい理事が生まれたことが印象に残っている。
二つ目の記憶は、日本医療社会福祉協会が主催した災害支援ボランティア派遣事業に参画したことだ。この非日常の体験を通して学んだことは、小生のソーシャルワーク実践の礎にもなっていて「現場をこの目で、この耳で、この足で体感する」ことの重要性を確かなものにした。
三つ目の記憶は、小生が当会60周年記念事業、すなわち日本医療社会福祉協会全国大会を是非新潟で開催させたいと力強く意識した、第29回北信越医療ソーシャルワーク研究会である。ミクロ・メゾ・マクロの視点で生きる力を支えるソーシャルワークを検証しようと北信越5県のソーシャルワーカーたちで開催した北信越大会は、任田実行委員長をはじめ、たぐいまれなる才能を開花させた実行委員達の大活躍で、成功裏に終わった。
ミクロ・メゾ・マクロの次にあるもの
北信越医療ソーシャルワーク研究会抄録の巻頭言でも述べた論語の一節「学は及ばざるが如くして 猶お之を失わんことを恐れる」姿勢は、大会を振り返りクライエントの“生ききる力”になり得たと確信している。
学び続けていくことに不安も何も待ち違わず、学び続けて行く姿勢にこそ価値があると実感させた牧野忠康 日本福祉大学名誉教授の基調講演からはじまり、昨年身罷られた小山剛さん、有坂洋元会長、村越英紀さんのシンポジウムが強烈に印象に残っている。さて、そこからどこに我々は向かうべきか、である。
ソーシャルワーカーはやはり、現在・過去・未来の順番で“迷い道”から抜け出せる専門的援助関係を形成する技術を身につけなければならない
一昨年の活動報告集 巻頭言で小生はこのように記載した。
「対話の論理が限界に近づいていてもブトリュムの望ましい人生を」
我々は「プロなのだから、やれて当たり前」という、消費者の論理が潜行している日常の中で、それが事実であるからこそ、もう一度“人の暮らし”に焦点をあてるソーシャルワーク実践の意味を確認する必要性があると考える。
面談が出来て当たり前、受容が出来て当たり前、自己決定を促して当たり前と思っている日常業務で、もう一度、クライエントの生活史、現在・過去・未来を聴くことの意味を、来年2016年5月26日から朱鷺メッセで開催される日本医療社会福祉協会全国大会新潟大会に参画していただき、目と耳と足で体験し学んで欲しいと考える。
特に 師弟鼎談(仮)「模範演技で魅(み)せる自分を知り・他者を知るソーシャルワーク実践の方法論」に参加してみてもらいたい。ここでは生活史聴取の実践方法論を模範演技として牧野忠康名誉教授が、聴講者に魅(み)せることになっている。
先輩ソーシャルワーカーの牧野名誉教授の模範演技から摑(つか)み、クライエントの生き様を拿(つか)むことで、小生も含め協会会員全員が共にスキルアップする機会を持てるものと確信する。
60周年記念事業は、一つの起爆剤としての意味しかない。その爆発をきっかけに新潟県内のソーシャルワーク実践力が枝葉に分かれて確実に育っていくことを祈念して実行委員会で企画している。そのひとつひとつの礎となっているのが活動報告集となっている。是非、吟味していただきたい。